2014年7月弘聖師父上人 マレーシア弘法の旅(二)
東マレーシア
マレーシアに東マレーシアがあることを、まだ多くの人が知らないと思う。私も以前は、マレーシアとはマレー半島の部分のみだと思っていたが、実際にマレーシアに足を運んでみると、本来ボルネオ島の北部にもうひとつの領土があることが分かった。南はインドネシアとブルネイに隣接する。今回の旅では、首都クアラルンプールを出発し、東マレーシアで二番目に大きい州—サバ州へ向かう。そこに啟森師兄の伯父、ダトゥ※の事業本部がある。
※ ダトゥ:社会で地位の高い、名声や人望がある人に対する敬称。
※ ダトゥ(dato):州の世襲制のスルタンが与える貴族に相当する称号。夫人はdatinと呼ばれる。個人名に付ける場合はDatoと表記。
7/15
タワウへ
端容師姐※1の父(李さん)は台北から出発し、クアラルンプール国際空港で皆と合流後、一同サバへ向かい、東マレーシア巡錫※2の旅に参加した。
※1 師姐:誰もが皆、己の師であり、見習うべきことがあるという意味が込められた、女性に対する敬意を表す呼び方。
※2 巡錫(じゅんしゃく):[錫杖(しゃくじょう)を持って巡行する意]僧が、各地をめぐり歩いて教えを広めること。
山神からの招待
クアラルンプールからタワウまで約2時間あまり、我々が搭乗した便はほぼ満席状態で、唯一の空席は師父の隣の席のみだった。皆が席に着いた後、啟森師兄は突然立ち上がり、珞晴師姐に師父の隣の空席に座るよう言った。珞晴師姐は少し遅れてチケットの予約をした為、我々の席とは離れた、少し前の方の列に一人で座っていたのだ。
啟森師兄は、師父に珞晴師姐がそこに座っても良いか確認すると、師父は「この席には山神が座っている。もしそれでも良いと言うのなら、どうぞ。」と返答した。これを聞いて皆は驚き、珞晴師姐はすぐに元の席に戻った。後で彼女に聞いてみると、師姐は「あの席に座るなんて、とんでもないわよ!」と言った。当然、もし私が彼女だったとしても、神の気分を害することを恐れて座らなかっただろう。
実は前日、ペナンからクアラルンプールへ車で行く途中、珞晴師姐は車中で既に、山神から「招待状」を受け取っていたのだ。我々はこの旅でキナバル山に登る予定だったのだが、山へ入るには許可証を申請しなければならなく、一日たった100名程度の定員であり、さらに登山3ヶ月前には申請が必要で、そうしなければ入山許可証を取得するのはとても難しくなる。我々の同行者の中の一人が少し遅れて申し込みをした為、キャンセル待ちの状態となり、啟森師兄はこの事をとても気に掛け、しきりに担当者に状況を尋ねていたが、返事はいつも「キャンセルは出ていない」とのことだった。しかし、山神の「招待状」を受け取り、間もなくして啟森師兄の携帯電話に「最後の残り一人の入山許可証を取得した」とのメッセージが届いた。我々は10人全員揃って、登山出来る事になったのだ。それを聞いた時、皆はとても興奮した様子だったが、唯一師父だけは、冷静沈着であった。おそらくこれは、神が師父の訪れに敬意を払った、ひとつの鮮やかな事例だったのだろう。
機内で、小妍師姐が「山神が座る」とされる席にカメラを向け写真を撮ると、実際にその席の背もたれに、ひとつの白い影が写っているのを見つけ驚いた。それは長い白髪で、とても年を召したような、また東洋人のような感じだった。師父に尋ねると、これは山神であると証した。何故山神が現れ師父を迎えに来たのか、皆とても強い好奇心を抱いたに違いない。ただひとつ理由をあげるとするならば、今回の旅でサバでの旅程には、標高四千メートルの「キナバル山」を登るという、かなり手強い課題があり、それ故に山神が逸早く師父を歓迎しに自ら来たのだろう。
それにしても、いささか早過ぎる出迎えと思われる。キナバル山に登るまで、まだ五日もあるのだ。「神」の礼儀正しさは本当に周到である。おそらく、皆以前のインド旅行でも経験したことであろう。師父が別の場所へ向かおうとすれば、その空間の神は大衆に「招待状」を送り師父を迎える。このような礼儀正しさは「人道(人界)」にいる私自身を慚愧させる。神々にとってでさえ、師父を歓迎することは容易に得られる機会ではない為、彼らはそれをとても大切にする。それに対し我々の場合、師父は常に「扉」を開け、我々が危難に遭い助けを必要とすれば、師父の「雨露」が即座に我々を滋養する。我々はその「恵み」を容易に獲られてしまうが為、慎重に行動するどころか礼儀を失ってしまったのだ。「禮法(礼儀作法)」とは、内心の恭敬と表面上の行儀の基準が合致すること以外の何物でもなく、「礼儀を失う」ことで直接害を受けるのは我々自身なのである。印光大師の言葉に「一分誠敬得一分利益,十分誠敬得十分利益(一割の敬意は一割の利益を得、十割の敬意は十割の利益を得る)」というものがあり、これもまた、何故神が人道(人界)にいる我々よりも幸福であるのか、ということの理由なのであろう。
8月9日、古文の講義時、芳美教授は「禮(礼儀)」の行為規範について教諭した。道・徳・仁・義・礼、これらは人としての基準となる。順を追って説明すると、「礼」とは人としての最低基準であり、「人而不禮,無以立(人でありながら礼儀を失うと、立身することはできない)」という言葉もある。これは、もし全てに連なる「礼」の基礎が無ければ、その他の道・徳・仁・義は言うまでもなく無い、という意味である。反対の見方をすると、「礼」を完璧にすれば、これに等しく「道」も完璧となる、ということだ。師父は常々「『一即一切(一事は万事であり、万事は一事である)』という言葉があるが、やはり大切なのは本質であり、外見ではない」と論ずる。
この講義を聴いた後、考えてみた。もし我々に全く「礼」が無いとしたならば、それはなんと恐ろしい事であろう!たかだか4日目という短い旅程で、すでにこんなにも多く不思議な事が起こった。しかし、師父はこうも言う。これらは全て自然現象であり、師父の世界では、順序も精神も全て自然と調和され、何も「不思議」と推測されるものではないのだ!と。
2時間あまりのフライトの後、ようやくタワウ空港に着陸し、サバという土地に第一歩を踏み入れた。そこかしこにシュロの木(ヤシ科植物)が生茂り、なかなか広大な見晴らしである。空港を一歩出ると(啟森師兄の)伯父一行が師父を迎えに、外で待っているのが見えた。師父を見つけると皆歓喜した。伯父さんと師父はもう半年もの間会っておらず、再会を待ち焦がれていた思いは言うまでもない。
夕食後、我々は一休みしようと伯父さんの事務所へ向かった。入り口を入らずとも、「無住」の音が陣陣と屋内からやって来るのが聞こえた。事務所へ足を一歩踏み入れると、見渡す限り法宝※1だった。これらは全て、明日共修に参加する来賓へ贈る為に準備されたものである。事務所の装飾の様子から見ると、おじさんはかなり謹厳な人であり、でたらめに置かれた物はいささかも見られなかった。これは既に「勿乱頓 致汚穢(整理整頓を怠るなかれ、不潔や紛失の原因となる)」という弟子規※2の基準に完全に達していると言える。そして、随所に額縁に入れられた「一覺尊」が見られる。伯父さんが師父の作品を珍宝とみて、大切にしている証拠だ。このような誠心が磁場を整え、より落ち着いた、心地良い空間にさせているのだろう。
※1 法宝:(比喩的に)神通力を持った宝、万能の宝。
※2 弟子規:先師・孔子の教えを基に学生の生活規範を編成したもので、儒教教育の入門書と言うべきもの。
「一切法從心想生(一切法※1は心より生ずる)」伯父さんの、法宝のもてなしや物事を行う態度から、「眾生有感,佛菩薩就有應(衆生※2が感謝の心を持てば、仏・菩薩はそれに応ずる)」師父が幾度も、多忙の中時間を割いて遠方からここへ訪れようとする気持ちが理解できる。伯父さんは明日の弘法講座の為、時間を詰めて珞晴師姐と共に「相関」の詳細について討論した。珞晴師姐は講座の主催者であり、明日はきっと沢山の佳賓が臨席するであろうから、少しも粗相があってはならない。彼が最も敬愛する、額縁に入れられた「一覺尊」の贈り物は、何ヶ月も前に既に準備ができていたそうだ。これらひとつひとつの贈り物は、非常に細かな点にまで注意が行き届いており、このことから、伯父さんの心配りが分かる。きっと皆が明日の講座をとても楽しみにしているであろう。(つづく)
※1 一切法(いっさいほう):この世に存在する一切のもの。
※2 衆生(しゅじょう):心をもつすべての存在。「人々」という意味で使われることが多い。
学生 瑞騏 より
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2014年7月 弘聖師父上人 馬來西亞弘法之旅(二)
東馬
我想很多人應該不知道馬來西亞還有個東馬吧!以前都以為馬來西亞就只是馬來半島那部分,親自踏上馬來西亞這個國度才明白,原來還有另外一片土地位於婆羅洲島上的北部,南接印尼並與汶萊當鄰居。此趟將由首都吉隆坡出發飛往東馬第二大洲-沙巴州,這也是啟森師兄的Uncle拿督先生的事業大本營。
7/15
前往斗湖
端容師姐的父親(李伯伯)從臺北來吉隆坡機場會合一同搭機前往沙巴,即將參與這趟東馬的弘法之旅。
山神的邀約:
從吉隆坡到斗湖航程大約兩個多小時,我們搭的這班飛機可說是客滿狀態,唯一的空位就是 師父旁的那個位置。大夥就定位後,啟森師兄突然站,起請珞晴師姐可以移到 師父旁的那個空位來坐,因為珞晴師姐是較晚訂機位,所以座位未和我們比鄰,只能單獨坐在較前排的位置。
啟森師兄向 師父請示珞晴師姐能否過來坐這個位置,師父回說:旁邊坐的是山神,如果珞晴不介意的話就請她來坐,當場我們聽了都非常訝異,珞晴師姐得知後馬上調頭回到她原來的座位。事後問她,師姐回說:我怎麼敢坐啊!當然,這換成是我也不敢冒犯。
其實在前一日從檳城搭車前往吉隆坡的途中,珞晴師姐在車上就已經接到山神的邀請訊息,更妙的是此趟我們要登神山,需要入山申請,每日只開放一百多名額,且要三個月前就事先申請,否則是很難拿得到入山證,我們同行中有一位比較晚報名,因此在等待後補名額,啟森師兄也為此事相當關切,不停的詢問承辦人的狀況,得到的回應都是沒有多餘的名額,但是當接到山神的邀請訊息後沒多久,啟森師兄的手機傳來簡訊說剩下最後一個入山名額已經拿到了,一共十人可以上山,當時聽到的人都很興奮,唯獨 師父仍舊如如不動,想必這又是諸神虔誠恭請 師父的蒞臨所呈現的一個鮮活事例。
在機上,小妍師姐拿起相機對山神的位拍照,赫然發現竟然看到椅背上出現了一個白色的影子,長長的白髪,面像看起來有很大的年紀,也有點像東洋人,這是我自己的感覺。請教 師父後證實這是山神,大家一定很好奇為何山神會現身來迎接 師父上人呢?只因此趟沙巴的行程有個很艱鉅的任務就是要登四千米高的「神山」,故山神提早親自前來恭迎 師父。
這也未免太早了吧,還有五天才要登神山,「神」的禮法竟然如此周到,想必大家應該都體會過之前的印度行,只要 師父即將前往另一地方就會有維次空間的神眾發邀請函來迎接 師父,這樣的禮法是在「人道」的我自感慚愧的。諸神要啟請 師父的到來是多麼不容易的事,所以祂們相當珍惜;反觀我們,師父常大開方便門,只要我們有需求有危難時,師父的雨露就會立即滋養我們,因為太容易獲取,反而便宜行事而失去禮法,「禮法」不外乎是內心的恭敬和外在的行儀符合標準,「失禮法」直接受害的是我們自己。印光大師言:「一分誠敬得一分利益,十分誠敬得十分利益」,這也是為何神比我們人道過的更幸福的原因。
在八月九日古文課時,芳美老師教到關於「禮」的行為規範,道、德、仁、義、禮這是當人的標準,以次第來說「禮」是當人的最低標準,「人而不禮,無以立」,意思說如果連「禮」這六十分的標準都沒有,那其他的道、德、仁、義更不用說了;反觀,「禮」做到滿分也等於有「道」,師父常說的:「一即一切」,不過還是得論實質而非形式。
聽完之後想想,如果我們真的沒有「禮」那是一件多麼可怕的事啊!才短短的第四天行程,就已經有這麼多不可思議事情發生,不過 師父又會說這一切都是自然現象,在 師父的世界裡一切都順乎心性合乎自然,何來「不可思議」的揣測呢!
經過兩個多小時的飛行,終於降落斗湖機場,第一次踏上沙巴這塊土地,到處都種滿棕櫚樹,視野感覺相當遼闊。一踏出機場就看見Uncle一行人在外面等著迎接 師父,見到 師父眾人歡喜,Uncle與 師父已經半年未曾謀面,內心的期盼是可想而知的。
晚餐結束後我們到Uncle的辦公室歇息,未踏進門就聽到「無住」的音聲從屋內陣陣傳來,一進辦公室觸目所及都是法寶,這些均是準備發送給明天來參加共修的來賓。從辦公室的擺設來看,Uncle是位做事相當嚴謹的人,絲毫看不到隨意亂放的物品,這已經是完全達到弟子規「勿亂頓、致污穢」的標準,還有隨處可見「一覺尊」的相框,Uncle可是將 師父的作品視為珍寶,應該是這樣的誠心讓整個空間磁場變得更加穩定祥和。
「一切法從心想生」,從Uncle對待法寶及做事情的態度,「眾生有感,佛菩薩就有應」,就能理解為何 師父願意多次在百忙之中抽空遠行來此的原因。Uncle為了明日的弘法講座,抓緊時間與珞晴師姐討論相關的細節,因為珞晴師姐是講座的主持人,明日將會有很多嘉賓蒞臨,絲毫不敢怠慢,據瞭解Uncle早在好幾個月前就已經準備好他最敬愛的一覺尊相框做為伴手禮,這份禮相當精緻,由此可見Uncle的用心,想必大家都非常期待明日的講座。(待續)
末學 瑞騏 敬筆