2014年7月 弘聖師父上人 マレーシア弘法の旅(一)
西マレーシア
7/12
小港空港
マレーシアへの出発日がやって来た。飛行機に乗る手続きの準備をしている時、沈先生と高さん、そして彼女たちの友達に出会った。高さんは師父に2名の友達を紹介した。師父は巧みな例を挙げながらいろいろなことを話し、初めて出会った友達も師父の話を楽しそうに聞いている。あっという間に搭乗時間となったが、皆さんは師父の話を聞きたくて離れたがらなかった。この時携帯に、飛行機が35分遅れるとのメールが届いた。何という偶然だろう。このため新しい友達が師父と一緒にいる時間が増えた。二人の友達も「すばらしい機会だね。」と言っていた。
ペナン州
約4時間の時間を越え、やっとペナン州に到着した。入境すると、林医師たちはもう空港のロビーで師父を迎えに来ていた。彼らは師父を大切に思い、再会を楽しみにしていた気持ち言葉や態度に溢れている。もし、3度目の出会いだと言わなければ、周りの人には長年の知り合いに見えたであろう。その自然で親切で師父を尊敬する態度が、私自身の不足を気づかせる。この夜、林医師夫婦、それから馬さんと張さんは師父と私たちをご馳走してくれた。ご飯の後、皆は争うように師父と記念写真を撮った。カメラを持つ人は次々と続いた。みんなこの貴重な機会を逃したくないのだ。それに張さんは、地元の「敬茶」の風習を紹介してくれた。彼女が一息で長い時間声を出し続けたので、本当にビックリした。こんな温かい雰囲気でこの夜の食事が終った。
マレーシア、香港、マカオ独特の敬茶の紹介
台湾語の「乾杯」の時に言う「呼乾」に似ている!広東語は「飲勝」なんだけど、長く伸ばして「呼~~~~~~~~~~~乾!」みたいに発音する。
參考網址: https://www.youtube.com/watch?v=QcvLqx68DBw
7/13
今日の旅は、去年12月、師父と周博士が出会った時に、周博士が今年の絵の展覧会に参加するよう、師父とみんなを招待してくれたことがきっかけとなった。この時、沈先生は周博士にフラメンコのダンスを披露し、小妍師姐と端容師姐と佳容師姐も「敦煌舞」という踊りを準備した。この六ヶ月くらい小妍師姐の三人は積極的に練習して、専門のダンスの先生を雇っただけではなく、衣装のデザインもお願いした。もちろん、沈先生の努力は言うまでもない。練習の時の衣装やダンスにいろいろな工夫をしているのが分かる。みんなはこの展覧会を重視し、今回の任務を完成させるために精一杯努力し、報いを求めなかった。この態度は師父が日頃唱える布施(ふせ)の教えに完全に符合する。内財の布施も外財の布施もある。演じる側もそれを見る側も共に喜ぶことが無畏施(むいせ)であり、本当に一石二鳥だ。なるほど、沈先生と師姐たちの笑顔と楽しそうな姿は、このような心持ちの結果なのであろう。この結果を見れば、私は法を学ぶことにさらに自信を持った。
昼ごはんを食べる時、林医師のクラスメートに偶然出会ったので、一緒に食事をしないかと誘った。林医師もこの偶然の機会に師父を紹介した。出会いは縁だから、この貴重なチャンスを大切にしなければ!林医師はもちろん、師父と出会って変わったことや理解したことを、何十年来の友達に急いで話した。それで、林医師のクラスメートも殊勝に感じ、心の中の疑問を次々に話し、師父に教えを請うた。
師父は、信じるに足る様々な例を出して解読した。このお友達は畜産と牧畜に詳しかったので、高大鮮乳(ミルクの名前)の乳牛が「無住」を聞けば聞くほど体も心も健康になり、病気も少なくなり、普通であれば牛乳の生産量が減る時期でも正常に生産していたという話を聞き、不思議がっていた。苦瓜の木も「無住」を聞いた後、前よりもっと大きな実をつけたのだが、その写真を見て、たいそう感心していた。この方は「無住」のプレーヤーをもらって、うちに帰ったら長時間流すと言っていた。この一時間ぐらいの短い時間に師父と出会い、大切な教えをたくさん受けることができ、このおじいさんはとても喜んでいた。
食事を終えてから、メンバーの中のある者が「友人に挨拶に行こう」と提案した。この友人とは保生大帝(ホセイタイテイ)のことである。
廟の人は師父を見るとすぐ鐘を打った。実は、この方はマレーシアの地元の方で、私たちの言葉が分からないはずだ。しかし、師父の元和妙音を聞き、そのプラスのエネルギーを感じ取ったのだ。この方は喜んで鐘を打ち、師父を歓迎した。一般的にお寺や廟で鐘を打つのは、お祭りや神様の誕生日、神様を迎えるときだけであり、日常は鐘を打たない。だからこそ、師父が廟に来たことは、神様や廟にとってとても喜ばしいのだということが分かる。ここでは長居をせず、もう一人の友人に会いに行くことにした。その友人とは「玄母殿」である。
玄母殿に行く前に、啟森師兄が廟の総務の余さんに宝器を贈っていた。余さんは、わざわざ携帯メールで感謝の気持ちを伝えてきた。そして、玄母殿に来ませんか?と師父を誘ったのだ。ちょうど少し時間があったので、すぐ会いに行くことになった。玄母殿に到着した時、余さんがいなかったので、廟の方に連絡したら、あっという間に余さんが戻ってきた。余さんは師父にお茶を勧めた。もちろん、その時は林医師も一緒にいた。余さんが、廟の主神である観世音菩薩に師父の来訪を祝福する言葉を唱え、これに対して師父は元和妙音(音声)で法を唱えた。同時に、師父は廟の方に観世音菩薩の教えを諭した。その中に「是非以不辯為解脫,是是非非、來來去去、對對錯錯,只要不要參於評論或是判斷、評判,你就超越了,你就不受這些是非糾葛難免的摩擦影響,就超越了」という言葉があった。すなわち、物事の是非を弁解しなければ、束縛から解放される。正しいとか悪いとか、そのようなことを討論、評論、判断しなければ、あなたは自分自身を超えることができ、身に絡まりついた摩擦の影響を避けることができ、それらを超越することができる、というものである。私はこの言葉に大いに感じ入った。私たちはしばしば物事の是非に悩まされ、前に進めず、さらに大きな困難に見舞われる。だからこそ、師父は日頃よく「一切法得成於忍」と言われる。すなわち「すべての法は我慢することである」という意味である。昔の人も「小不忍則亂大謀」と言った。すなわち「些細なことを我慢しなければ、やがて大きな問題が起きる」という意味である。『弟子規』という昔の書物には「言語忍,忿自泯」とある。すなわち「話す時には言葉に気を付け、よいことを口にし、悪いことを言わず、怒りを堪えれば、無用な衝突や恨みが自然になくなる」という意味である。特に、多くの人のために仕事をする時には、更に慎重な態度で取り組むことが大切だ。その後、余さんは我々のために、色々な食べ物を用意してくれた。今回は前回より更に篤くもてなしてくださり、テーブルいっぱいのおいしい料理、次々に出てくるドリアン、袋いっぱいのマンゴスチンを我々に食べさせてくださった。師父のお陰でこのように色々なものを食べることができたのだが、これではまさに「師父做工,學生領功」(師父が色々な仕事をし、報酬は学生たちがもらう)という状態で、食べれば食べるほど申し訳ない気持ちでいっぱいになる。
この夜は周博士のパーティーが終わった後、林医師たちにとっては、師父と一緒に過ごす最後夜となった。翌日、私たちはペナン州からクアラルンプールへ行く。時間を大切にするために直接にホテルに戻った。元々レストランで何か飲もうと思っていたが、営業時間の関係で、店員は私たちにまだ営業してないバーを勧めてくれた。ここでもいつものようにVIP待遇で、中には私たちしかおらず、邪魔するものもなく、林医師はきっと喜んでいたと思う。
林医師の話によると、彼は元々宗教を信じる人ではなく、普段寺廟に参ることもほとんどなく、もちろん神に祈る習慣もなかった。このため、神仏について友達と語ることもなかった。これは、正しい先生に会えず、正しい指導もなかったからである。でも、師父に出会って後、仏法を信じる気持ちがだんだんと芽生え、師父の導きに感謝している。今では逆に、周りの人々に自分が学んだことを積極的に伝え、また、周りの人々に師父の宝器を贈りたいと思っている。しかし手元には、台湾から贈ってもらった宝器しかなく、それを他の人に譲ることは考えられない。また、そのことを私たちに話すのも申し訳なく思ったそうだ。しかしその後、本当に我慢できなくなり、啟森師兄に更に多くの宝器がもらえないか尋ねた。実は少し前に啟森師兄が私と、宝器をいくつか持っていき、ペナン州で林医師に提供しようかと相談していたのだ。我々は、林医師に気を遣わせては悪いと思っていたのだが、このようにお互いの気持ちが見事に通じ合うとは思いもしなかった。林医師は追加の宝器がもらえると知り、非常に喜ばれた。そして、ペナン州の宝器流通所にも宝器をいくつか置いていくことにした。このような展開を、林医師の奥様も不思議に感じられた。時間は刻々と過ぎていく。翌日はクアラルンプールへ五時間くらいかかる。師父を疲れすぎさせたくないので、元々十時の約束だったが、林医師はもっともっと師父の法を聞きたくて、お開きにするのをためらった。このため、10時45分まで会は続いた。最後は楽しい雰囲気で別れを告げた。このペナン州の旅も円満だ。
ペナン州での二日間、林医師の師父に対する尊敬と、積極的に仏法を学ぶ姿勢を、私はまた学ぶことができた。彼らは去年の六月に初めて師父と知り合った。師父がマレーシアに来た時はいつも、彼らは全てのことをストップさせて、誠心誠意師父をもてなす。林医師は医療を休診し、馬さんもお店のことはすべて社員に任せて、車で我々を迎えに来てくれたり、滞在期間中はずっとそばに付き添ってくださる。この精神には本当に感動させられる。私は自分自身に問うてみた。自分にはこのような精神があるのか?できるのか?彼らは師父とはたった三回会われただけだが、この短い時間に大きな変化が生じた。林医師夫妻の生活は更に着実な方向に進み、馬さんのお店もますます繫栄している。これは全て仏法を信じれば信じるほどよくなる証明だ。私も彼らに学び、自分の間違いを反省しなければ。林医者夫婦と馬さんと秀珠さん、ありがとう、またお会いできる日を楽しみにしてます。
翌日、5時間くらいかかって、首都のクアラルンプールに到着した。今回の目的は呉さんに会うことだった。彼女は師父が初めてマレーシアに来た時知り合ったご友人だ。呉さんはキリスト教徒だけど、師父の説法を聞くのがとても好きだ。夕食を終わってから、呉さんが皆さんにコーヒーをご馳走してくれるときに、師父に教えを請う機会を得た。彼女は尋ねた。「ここに二種類の人がいたとします。一方は経書をいっぱい勉強したけど行為は経書に全然合っていない。もう一方は毎日経書の勉強はしていないけど行為は経書と合っている。どちらが正しいのでしょうか。」師父は答えた。「もし、この二人と比べるなら、正しいのは後者だよ。すべての仏法は形質じゃなくて、実質だ。それに昔の人は文字がなかったんだ。その時はどうしていたと思う?まさか、文字がない時代の人は、経書もなかったわけだから、いいことができなかったのかな。仏教には『依義不依語(文字と言葉に頼らず、義理によって行う)』という言葉がある。言葉そのものは覚えられなくても、その意味が分かれば実行できる。だから、結果的に経書の教えに合うんだ。」師父は日頃私たちに、経書を読んだ後に意味をよく理解して、それを生活の中で実践すれば、私たちの人生が変わると説く。覚えるだけで実践しなければもったいないのだ。また、師父は常に次のことを強調される。「仏法は、実践して初めて学んだと言える。」覚えるだけでは無駄なのだ。師父の話を聞いて、呉さんの理解も深まった。彼女は以前、牧師や、仏教を学ぶ他の人に尋ねたのだが、誰も彼女の疑問を晴らすことはできなかった。この短い時間で、呉さんも新しい智慧を得ることができた。
「衆生の求めがあれば、仏菩薩は応じる」。西マレーシアでのたったの三日間、人々は師父と一緒にいる時間を争った。短くても、何分間だけでもいい、このチャンスを逃せば、次にいつ師父にお会いできるか分からない。だから、師父も可能な限り皆さんに応え、仏法を説いた。皆の願いは人生と運命を変えるヒントだ。
「一分の誠意を持てば一分の利益を得、十分の誠意を持てば十分の利益を得る」。この言葉は私にとってはよく聞く、意味もよく分かる言葉だ。しかし、一番大切なのは「誠心」だ。この誠心が利益の有無を決める。私はまだまだ頑張らないといけないようだ。
西マレーシアの旅はこれで終りです。続いては、今回のマレーシア弘法の旅のハイライト、東マレーシアで起きた数々の不思議な、そしてすばらしい出来事をご紹介します。ご期待ください。
学生 瑞騏 より
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2014年7月 師父上人 馬來西亞弘法之旅(一)
西馬
7/12
小港機場
馬來西亞出訪的日子終於來臨,在機場準備辦理登機手續時,恰巧遇到沈老師與高阿姨,還有兩位前來送機的朋友,高阿姨藉這機會介紹她的朋友們與 師父認識。師父善巧方便舉了很多例子,讓初次見面的這兩位朋友聽得神情歡喜,言談中很快的到了準備登機的時刻,大夥仍意猶未盡。這時,手機傳來告知班機誤點35分鐘的訊息,這未免也太巧妙了,據沈老師表示飛香港的班機是很少誤點的,因為這樣的機緣,讓這兩位新朋友與 師父多相處了一些時間,連他們也說:「這是很難得的福報。」
檳城
四個多鐘頭的飛航時間,終於到了此行第一個目的地-檳城。出了海關,林醫師一行人已經在大廳恭候 師父的到來。他們對 師父的重視與期待之情溢於言表,如果不特別強調說這是他們與 師父的第三次見面,旁人都還以為是已經認識多年的好朋友,那種自然、親近又不失尊敬的態度讓我自嘆弗如。晚上林醫師夫婦、馬姐及張姐請 師父還有我們大家吃飯,飯後大家爭相與 師父拍照留念,相機一台接一台,誰也不想錯過這個難得的機會。還有張姐親自示範當地敬茶的習俗,那一口氣拉長音到底真是讓我嘆為觀止,大夥在如此溫馨熱鬧的氣氛下為今晚的餐敘劃下句點。
[馬來西亞、香港、澳門獨特敬酒敬茶風俗介紹]
類似台語敬酒”呼乾”!粵語稱”飲勝”,拉長音就類似:呼~~~~~~~~~~~乾!
參考網址: https://www.youtube.com/watch?v=QcvLqx68DBw
7/13
今天行程安排的機緣,是源自去年十二月 師父與周博士相聚時,周博士特別邀請 師父與大家今年來參加他的畫展。當時沈老師答應要奉上佛朗明哥舞蹈慶賀,小妍師姐、端容師姐及佳容師姐三位也準備了「敦煌舞」獻禮。這六個月來小妍師姐三人都很積極地在練習,還特地聘請專業的舞蹈老師編舞且服裝也請設計師精心設計;沈老師更不用說了,在彩排時看見服裝及舞蹈就知道也下了不少的功夫,每個人都如此重視這場盛會,盡心盡力的去完成此次的任務,不求回饋,這樣的態度完全符合 師父常教我們的布施理路,兼具了內財與外財布施,然後又讓主人家與觀眾看得相當歡喜,這又具備了無畏布施,可以說是一舉多得,難怪每次看到沈老師及師姐她們都是笑臉迎人快樂自在的樣子,看到這樣的結果,讓我在學法上更加有信心。
中午用餐時,巧遇林醫師的同學夫婦,因此我們邀請他一同用餐,在會場時林醫師就特別介紹 師父讓他們認識,相逢便是有緣,在這難得的因緣際會,林醫師怎麼能不把握這樣的機會呢!當然要急著把他遇見 師父後的改變和心得與這認識五十幾年的老朋友分享,因此,林醫師的同學也感到相當殊勝,不斷的提出他心中的疑惑向 師父請教。
師父舉了很多信而有徵的例子為其解說,因為他是學畜牧方面的,聽到高大鮮乳的乳牛聽「無住」後,乳牛的身心變得很健康,不但鮮少生病,且在牛乳產量減少的時期反而能正常生產,讓這位先生感到不可思議。還有苦瓜的樹頭因為長時間聽「無住」之後長出更碩大的果實,他看到照片後更是嘖嘖稱奇,因此還特地要了「無住」音聲播放器要回去長時間播放。這樣短短的一個多鐘頭與 師父相遇,就得到相當多寶貴的啟發,這位先生表示相當歡喜。
用餐結束後,有人提議是否應該去拜會一下老朋友呢?就是保生大帝。
廟方人員見到 師父前來馬上站起來準備要敲鐘歡迎,坦白說那位先生應該是馬來西亞當地人,不甚明瞭我們的話語,但在 師父元和妙音下那股正向能量的攝受力,令他歡喜的以鐘聲禮讚 師父!正常來說寺廟會敲鐘都是因為慶典、主神壽誕或是會神,平時廟方是不會隨便敲鐘的,可見每次 師父的到來,對神或是廟方來說是多麼歡喜的事呢!在這沒有停留很多時間,因為還要再去拜會另一個老朋友,就是【玄母殿】。
因為在行前啟森師兄先寄了些法寶給廟方總務余先生,余先生也特地傳簡訊表示感謝,並邀請 師父前往敘舊,剛好行程上還有些時間,所以我們就前往拜會。我們到時余先生剛好不在,廟方人員聯絡之後,隔沒多久余先生馬上趕到,並邀 師父至涼亭茶敘,林醫師也一起陪同前往。廟裡的主神觀世音菩薩,隨即也傳訊息恭迎 師父到來,師父藉由元和妙音開示說法,也轉達菩薩對廟方執事們的期勉教誨,其中有一段話「是非以不辯為解脫,是是非非、來來去去、對對錯錯,只要不要參於評論或是判斷、評判,你就超越了,你就不受這些是非糾葛難免的摩擦影響,就超越了」,這段話在當時讓我有很大的觸動,我們有時會被一些是非給擾動,因此困守不前,反而造成更大的傷害,所以啊!師父常說:「一切法得成於忍」,古人也常說:「小不忍則亂大謀」,《弟子規》有說到「言語忍,忿自泯」,尤其在做公共事務更應該小心謹慎。開示後余先生請人準備了很多餐點請我們享用,此次的熱情更勝於前,滿桌的佳餚,榴槤一顆接著一顆,山竹也是一整袋滿滿的供我們食用,這樣的盛情完全是託 師父之福,果真是「師父做工,學生領功」,唉〜真是讓我吃得相當慚愧呢!
晚上參加完周博士的晚宴後,林醫師一群人迫不及待的要把握與 師父相聚的最後一晚,因為次日我們即將離開檳城前往吉隆坡。為了把握時間,於是我們直接回飯店,原想在餐廳喝點東西,但是因為營業時間的問題,員工建議我們到尚未營業一個酒吧包廂,一如往常又是VIP,裡頭只有我們,完全無任何干擾,此時我想林醫師應該很開心吧!
林醫師分享說,他本身沒什們宗教信仰,平時很少會到廟宇,也不習慣拜神,因此不會去跟朋友講關於神佛的事情,因為沒有明師指導。但是自從遇到 師父後,漸漸的對佛法感到有信心,並感恩 師父的引導,現在反而會很積極的去分享他的所學,且會想主動的想把 師父的法寶送給他的好朋友。不過,在這之前他手上唯有從台灣寄給他的那份法寶,很捨不得將它送出去,又不好意思再開口跟我們索取,後來真的忍不住了,才開口向啟森師兄詢問是否還有多餘的法寶可啟請?其實在稍早前啟森師兄就有和我討論過,是否要主動詢問林醫師,我們可以提供一些法寶給他在檳城分享嗎?但是又怕會造成對方的壓力,沒想到因緣成熟,水到自然渠成,林醫師知道我們還有法寶可啟請相當開心,並多留一些放在檳城的法寶流通處,這樣的轉變,連在旁的林太太也覺得不可思議。時間一分一秒的過了,因為隔日我們還要搭五個鐘頭的車到吉隆坡,不捨讓 師父太勞累,原本說好待到十點,但是林醫師仍意猶未盡,一直想多聽聽 師父的說法,所以又多待了四十五分鐘,最後在很開心的氣氛下相互道別,也為這段檳城之旅畫下圓滿的句點。
在檳城的這兩天,又再度讓我學習到林醫師他們對 師父的恭敬和學法的積極態度。他們從去年六月第一次認識 師父之後,每一次 師父的到來,他們始終能夠萬緣放下,全心全意的善盡地主之誼。林醫師休診,馬姐的兩間店面也交給員工打理,開車來接待我們,有幾天就陪幾天。這樣的精神反問我自己,我能做到嗎?只與 師父見過三次面卻能在這麼短時間內,就有很大改變,林醫師夫婦的生活更加踏實有方向,馬姐的店生意也越來越好,這些都是對佛法的見證,值得我去效法省思的!感謝林醫師、林太太、馬姐還有秀珠姐,期待下次再相會囉!
翌日,五個多鐘頭的車程來到了馬來西亞首都吉隆坡。此趟的目的是拜會吳阿姨,吳阿姨也是先前 師父第一次到馬來西亞認識的朋友,吳阿姨雖是基督徒卻非常喜歡聽 師父說法,晚餐結束後吳阿姨請大家喝咖啡時把握機會請教 師父。問說:「如果有兩種人,一是飽讀經教但行為卻與經教相違背,另一是雖說沒有天天背誦經教,但是行為舉止卻是符合經教所說的,哪種人的行為是對的?」 師父答說:「如以這兩種人比較,當然是後者正確,所有的一切法論實質不論形式,尚且古時候的人沒有文字怎麼辦?難道那時代的人沒文字就沒辦法去做好事,佛家有句話講說:『依義不依語』,也許你那句話背不出來,可是你懂得那個意思就會去落實,所以是符合經教的。」 師父教導我們應該將經教看了之後,深入了解意思並且落實於生活中,藉此改善我們的人生,而不只是去背誦它而忽略去落實,那就實在太冤枉了,這也就是 師父一直強調:「學法就是做到才算數」,而不是徒於記問之學,那是沒有用的。經過 師父精闢的開示後,吳阿姨就更明白了,因為她曾經請教過牧師及學佛之人,始終無法解除她的疑惑,在這短短的時間裡,吳阿姨也因此增長了智慧。
「眾生有感,佛菩薩就有應」,經過了在西馬這短短的三天,每位朋友無不想盡辦法爭取與 師父相聚的時間,哪怕只有短短的幾分鐘,深怕錯過了這次機會不知還得再等多久才能再見到 師父,因此 師父也百分百配合為大家說法開示,他們的願心就是改變人生命運的關鍵。
「一分誠敬得一分利益,十分誠敬即得十分利益」,這句話對我來說或許非常熟悉也知其意,但是重點還是在於那個「誠心」,決定得不得「利」,看來我還是得再多加把勁才是囉!
結束了西馬之行,接下來將是此趟馬來西亞弘法之旅的重頭戲─東馬,當中發生很多不可思議、令人讚嘆的事,敬請拭目以待。
末學 瑞騏 敬筆